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8月, 2024の投稿を表示しています

才能のある男性は結婚をしないわけでもなかった

生涯独身だったダヴィンチ 結婚出来ないオレは「才能のある男は結婚しない」「自分こそが最良のパートナーだ!」と言い聞かせてきたがオレの場合は単にダメ人間だから結婚出来ないだけだった。 才能ある人物は感性がずれてるから結婚なんて無理そうなイメージだった。なぜ「男性」に絞ったのかというと、一般的に女性は本能的に「普通」であろうとするからで、そんな「普通」を好む女性たちと、「普通」を嫌う才能のある男性が結婚するのは困難だと思ったから。 実際には才能豊かな婚約者の男性も多いし、むしろ結婚しなかった人物のほうが少ない。 時代にもよるのかも知れない。昔と今では結婚に対する価値観は違う。 アインシュタインほどの天才ですら結婚していたが、妻に対してかなりの制約を課していて、割り切ったところのある結婚だったらしい。今だったら結婚しなかった(出来なかった)かもしれない。 葛飾北斎も風変わりな天才だったようだがよく結婚出来たなと思う。離婚したっぽいが ニュートンはメル友がいたらしいが性格的に結婚どころか恋愛も無理だったようだ。 画家のゴッホも偏執的すぎてダメだった。娼婦にフラれたりしたらしい。 イーロンマスクは重度のアスペルガーの為に女性はおろか他者とうまく付き合うことが出来なかったようだ。 ベートーヴェンは女が好きすぎて結婚するのがめんどくさかったらしい。有名な肖像画を見ると、かなりむっつりスケベな顔をしてる。クラシックミュージシャンはむっつりスケベな変態しかいない。 レオナルド・ダ・ヴィンチは同性愛者とも言われてるがバイセクシャルだったんだと思う。モテるようでモテないタイプ。多才性と未完成作品しかほとんど無いことから察するにかなり多面的な人物かつ病的なまでの飽き性だっただろうから特定のパートナーを持つことが出来なかったのだろう。中性的なダヴィンチは自分の中の男性と女性が結婚したりして自己完結しちゃってるような所もあったのだろう。自分もそういうとこあるから分かる。 じゃあ多才な人物は結婚しない(出来ない)のかっていうとそうでもないのだろう。  自分のように、才能がある一方で他者に劣等感を抱いてたり自分に自信がない人物も多いだろうし、特定のタイプの女の扱いには長けてたりモテても、別のタイプの女は苦手だという人物も多いのだろう。 もうどうでもいい

好きだからこそ結婚しない。とある出来損ないの一夜。

好きだから結婚をする 好きでもないのに政略結婚をする どちらかと言えば、後者 では前者は何者なのか 物好き そういうこともある 物好きだから風変わりな相手と結婚する そんなチャレンジャーになれない人たちは出来損ないか? いいえ、いたってまともな恋人Loverだと思います 男が女を好きになり、結婚をする 女が男を好きになり、結婚をする 出来ちゃったよ出来ちゃった んあー? 子供が出来ちゃったってぇ? いいえ、他に好きな人が出来てしまったのです。私は最低な出来損ないだと思いますか? 出来損ないは恋愛をしないのではなく出来ないだけだから大丈夫だと思います。でもあなたはどうしてそんなに男性が好きなのに結婚をしたのでしょうか。その点については少々出来損なったと思わざるを得ませんね… 好きだから結婚したのです でも他の男性も好きなのでしょう? それは……私は離婚すべきでしょうか? いいえ、結婚するのです 結婚はもうしてますよ もう一人の男性と結婚しなさい 離婚して再婚しろと? 離婚はしなくていいのです。好きになったら好きなだけ結婚すればいいのですよ 多夫一妻というやつですかな? うーん、まあ、多夫多妻といいますか、自由に描かれた恋愛小説みたいなものですわ でも好きになったのは彼の一側面だけだし、もう一人の方は彼が持たない面を持っててそこがちょっと好きになったっていうか、、それで一晩だけ一緒に過ごして、、 ワンナイト!! バツイチ!!! そうやってバツの悪い思いをしたくなければ結婚なんてするもんじゃありませんよ奥さん だけどあの時は本気で好きで、、 好きだからこそですよ。好きだから結婚をする時代はとうに過ぎ去ってしまったのです。これからは好きだから結婚しない時代なのです。 それってあなたが強欲な女好きで一人の女性を選べないからそう言ってるだけでしょう? だったら何が悪い。今は効率と流動の時代なんだ。恋愛も結婚も一夜限りで十分だ。初夜、それはつまり末夜なのです 松屋ね、、 フランチャイズ!!! 松屋ってフランチャイズだったのー? 知らん!!おれはただ自分の良い面だけを見せてファーストフードのような恋愛をたくさんしたかっただけなんだよぉぉ!! まー分からなくもないかなあ、、 結婚という重荷を負いたくなかったし、自分のだらしない面を見せたくなかったんだ。だからおれは逃げ出したのです…

他人事とは言いきれない、一人称の問題。

八重人格者の自分は、どの一人称を使うべきなのか未だに迷っている。 「私は迷わない 」と私は言うが、『そりゃぁあなたは生まれながらの私たちなんだから何の問題もないし、フェミニスト面して女性専用車両を乗っ取ればいい』    とオレが言い返すとフェミニストの旦那はいつにも増してヒステリックなストッキングを履きつぶしながら事務的かつ筋肉質な言葉の数々をオレに向かって投げつけ、高笑いをする。 オレはますます内なるオレらしさを感じながら自称「私」のフェミニストに腕相撲を仕掛けようとするが、感情がたかぶると手足がわなわな震えて泣きそうになってしまうオレは感情を言葉でうまく表せずに「オ、おれは%¥$☆…!!」と喚き出し、しまいには子供のように泣き出してしまった。 高笑いをしていた私も母性本能を表してこのオレをなだめ、顔を洗って出直すよう促した。 髭を剃り残してきたおれは、あなたの下僕になりますと私に伝えたが、それでも"僕"という一人称だけは使わないという約束を私と取り交わした。 私たちがなぜ僕が嫌いなのかはよく分からないが、おそらく良い子ぶった猫かぶりな雰囲気が嫌なのだろう。 そんな吾輩も今となっては人間的臭みのあるストッキング女の犬になってしまったのであるが、猫も嫌いではなく、自身をネコ科のイヌだと自負している。 そんなわけで、俺にも私にも猫にも犬にもなりきれない、あまりにも中途半端で心変わりしやすい自分はもう自分が自分であることさえままならず悩み苦しんだ結果、「何もかも他人事だったらいい。どうせ自分なんて存在しないのだから。」と考え、一人称を「君」や「あなた」にすることにしたのである。そしてそれは若い頃の自己語り癖や構ってちゃん行動に対する反省でもあるのです。 みんながみんな、自分の人生を他人事だと思えばどれだけ世界は平和になるのだろう。 御意

ビールと枝豆の間で揺れ動く、IQ120の苦悩

かつてスティーブジョブズというギタリストがiPhoneという物質を発明したが、奴のIQは118〜121だった。他にも、イエスキリストや、アインシュタイン、ニュートン、エジソン、カント、マルクス、ユング、アントニオ猪木など、この世の常識を塗り替えた、史上稀に見るほどの男子生徒たちがいたが、意外なことに彼らのIQ指数は120前後でしかなかった。そこにこの世のカラクリボックスがある。 私もそうだが、120の人たちはメンサ会員にはなれなかった。お高く止まった、ある意味では馬鹿でマヌケなメンサ会員や東大生の仲間にもなれず、かといってブルーカラーやその他の一般人の仲間にもなれない中途半端なIQ、それこそが結果として世の中を変える運動会を催すのであった。 なぜ彼らは世の中を変えたのかというと、属す場が無いからいろんな人に理解されたくて必死になって頑張っちゃったんだよねー うんこうんこー!🐶💩 そう、一般人は自分と同じような人間が周りにたくさんいるから何の努力もする必要がないし、メンサ会員はメンサ会員でただ難しそうな数式を解いてればあとは金がジャブジャブと懐に入ってくるわけだから別にこの世を変える必要もないんだよな。 そんな感じで、IQ120くらいの人たちには同情せざるを得ない。 だがIQ120の人物にも、親や家族との関係性によってはただの凡人に成り下がってしまったり、逆に精神病や犯罪者になって終わってしまうケースも多々ある。 一番理想なのは、親から愛と虐待やネグレクトを同時に受けたIQ120の、一般女性よりも感じやすい乳首を持った男子生徒なのだろう。実際には、いろんな人材がいることで世の中の体温計を緑豊かなコンクリートジャングルに保ってるわけだからIQが130以上あっても罪ではない。 高過ぎるIQを持つ者は歴史の教科書に乗るような人物は意外と少なく、彼らはエンジニアリングや研究等、目立たない場や裏方で活躍することが多い。一方、IQ120の者たちは中途半端であることに対する悔しさから、目立とうとする者が多い。その結果として歴史に名を刻んだり、逮捕されたりするのである。 上記のような人物は誰がいたのかっていうと、もうよく思い出せない。アーティストでいうと、罪と罰で有名なドストエフスキーとか、ジョンレノンとか、カートコバーン、デイビッドボウイ、ベートーヴェンあたりがその領域にいたん

noteはもう時代遅れなんだと思う…

時の流れのなんと早いことか… noteが登場した時は革新的なサービスに喜び浮かれ騒いだものだったが… 勢いがあった当時はnoteが廃れるなんて夢にも思わなかったが、現実は酷なもので、次第にnote、いや、SNS全般が廃れはじめてしまった… 正確にはSNSが廃れることはないが、今存在しているタイプのSNSは全て廃れてしまうのだろう… 過去の失敗から学んだ、新しいSNSあるいはSNSのようなもの、SNSの一部みたいなものが流行り出し、SNSはごく一部の人間がやるものになっていく… フォローフォローフォローフォロー…フォロー疲れ フォロー機能のあるSNSは全て時代遅れになってしまった…おお…なんということだ… ショート動画ブームもじきに過ぎ去っていくのだろう… SNSを「人付き合い」に置き換えて考えると、SNSが持つ矛盾が垣間見えてくる ネットが登場した時点でそもそも人付き合い(SNS)は廃れ始めていた つまりSNSは元々、SNS(人付き合い)が廃れた原因であるネット上で生まれた物だった ネット普及時からすでに廃れてたSNS(人付き合い)の魔法が解けるのは時間の問題だったのだ… バブルみたいなものだったのだろう 廃れたSNS(人付き合い)に取って代わる新しいSNSとは結局のところリアル世界に他ならない それだのにオレは…オレたちは一時の誘惑に負けてドーパミンの餌食となっていたのだな… ツイッター民、note民、ドーパ民 ネット上のどんなサービスが始まろうと、noteをやめてブログに移行しようと、それは結局SNS(人付き合い)を廃れさせた原因であるネット上のサービスでしかなかったのだ 皮肉な話だ… ありがとうザック ありがとうイーロン そして、ありがとうnote 君たちとの思い出は一生忘れないよ… うっうっうっ… —あとがき— noteに言葉遊び記事を書いたりコンペに応募したりしていたが凡人向きのnoteはオレみたいな八重人格の参謀長官には場違いだったようだ。合掌 noteやめてBloggerやることにした www.hinoki-blo.com
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